Watchtower Classic Library
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[続きの研究記事] 

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===分裂した家庭内でのクリスチャンの行ない===   

「妻よ、あなたが夫を救いうるかどうか、どうしてわかるか。また、夫よ、あなたが妻を救いうるかどうか、どうしてわかるか」-コリント前、7:16、新口。

 1「編集者への手紙:このことに関係ある奉仕者におわび致します。ラルフ[の町]を自動車で通行中、卵をぶっつけられた奉仕者の方は、ガソリンスタンドで車を洗い、勘定書を私共に送ってください。そのようにして私共の謙遜な謝罪を受け入れていただきたいと思います。またラルフに再びお出の節は、宅にお立

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①, ②(イ)振舞に関するどんな出来事が、カナダで起きましたか。 (ロ)公に謝罪したことは、どのように精神的な勇気を表わしていましたか。 そのことはどのように祝福になりましたか。

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ち寄りいただき、親しくお目にかかったうえでおわびしたく存じます。私共がこのいわゆる悪ふざけをさせた訳ではありませんが、一緒にいた三人の友人のためにも謝罪の意を表したく存じます。その時のいたずらは冗談事ではありませんでした。このかたと通行の皆さまに対し、このような悪ふざけはもうないことをお知らせいたします。マークとマービン・カグネット」。

 2 カナダ、サスカチェワンの不良少年の一団からこの悪ふざけをされたのは、エホバの証者の地域の奉仕者でした卵をぶっつけられた奉仕者は車をとめ、少年たちが隠れていると思われる家に行って両親に事の次第を話し、通行人を侮辱しかつ危害を与えるいたずらをやめさせるように強く抗議しました。母親の謝罪の言葉を聞いて、奉仕者は名前を告げずに立ち去り、一週間後に右の公開謝罪状が土地の新聞に出たのです。地域の奉仕者は土地の奉仕者と連れ立って、謝罪の意を表したこの両親を訪問しました。この両親は落胆しており、自分の宗教に対する信仰を失った人でしたその家族のために、さっそく聖書研究がとりきめられ、両親はこの「ものみの塔」のほかに「目ざめよ!」誌をも予約しました。なお奉仕者は、自分で車を洗ったので費用はかからなかったことを告げました。二人の奉仕者がいとまを告げた時、この婦人は、このようないきさつでお会いするようになったのは悲しいことでしたが、結果としては家族そろって聖書を勉強できるようになったの

で大変喜んでいますと語りました。正しいことをしようとして心をわずらわせたこの両親のとった公の謝罪の行いは、立派なものです。その勇気のある行いは祝福となりました。-コリント後、七ノ一〇。

 3 この経験から分かる通り、エホバの証者でない多くの人も、強い道義心を持ち、何かのはずみで現実に目ざめれば、けいけんな悔い改めに導かれて真理と将来の希望を学び祝福を得ます。そのことを知るとき、分裂した家庭に住むクリスチャンは新世社会と共に正しい行いを忍耐強くつづけるように励まされます。著名な実業家で、エホバの証者の妻を持つ不信者の夫は仲間の実業家に向かって、自分は家に帰るとき、妻が「酒のことよりも聖書のことに一生懸命」なのを見て嬉しいと語っています。目的もなく、快楽を求めて、酒に酔うことも多い実業家連中の妻は感心できないと、この人は言っているのです。では、よい評判を得、おそらくは不信者の家族を救うために、分裂した家庭のクリスチャンにはどんな行いがすすめられていますか。-コリント前、七ノ一六。

 4 エホバへの従順という点において、妥協することは絶対に許されません。エホバの御子イエスは、分裂した家庭について話されたとき、

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③(イ)献身したクリスチャンでなくても、ある人々は強い道義的観念を持っていることを、どのように示しますか。 (ロ)そのことは、何を励ますものですか。④ 不信者とおり合ってゆくことは、何時でも神の律法に対する従順と関係しますか。

次のように前置きしました。「人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう」。(マタイ、一〇章三二、三七、新口)しかし分裂した家庭において他の者と折り合ってゆくことが、何時でもエホバの律法に対する従順という問題につながっているわけではありません。ある場合に、それはクリスチャンの信仰と行動、つまりなぜそう考えるか、なぜ集会に出席することを望むか、なぜ家から家に行って公の証言のわざをするかを、家族の他の者に正しく理解してもらうことに依存しています。あるいは実際には神の要求していない事柄、別の時に別の方法で行なえば、献身していない家族の者の利害や行動と衝突せずにすむ事柄を、争いの種にしているかもしれません。時に、献身している者が、個人的な問題つまり神の要求されていない、ある意向、見解、意図あるいは行いを固執しているかもしれません。このことを正しく理解するため、これらの事情の下でクリスチャンがどう行なうべきかを考慮しましょう。

       妻が不信者

 5 反対しているが無関心な、妻を持つ献身したクリスチャンの夫の立場はそれとは、逆の立場とくらべてはるかに恵まれています。その夫は聖書に従ってかしらの地位を行使でき、しかもそうしなければなりません。妻は次のことを

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⑤ 分裂した家庭を持つクリスチャンの夫は、どんな責任を受け入れますか。

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すすめられています、「妻たる者よ、主に仕えるように自分の夫に仕えなさい……夫は妻のかしらである」。この従属のゆえに、夫は妻と子供のために必要なものを備えなければなりません。使徒はテモテ前書五章八節(新口)にそのことを述べています、「もしある人が、その親族を、ことにその家族をかえりみない場合には、その信仰を捨てたことになる……」。これは法・律・上・の義務でもあります。たいていの場合、クリスチャンに反対する妻は、服従することを拒絶しても、法律をたてに夫に義務の遂行を迫ります。そのうえ夫は妻を愛し、その伴侶でなければなりません。これには性的な満足という結婚の分をつくすことも含まれます。それを与えなければ、他にそのような満足を求めさせ妻の不貞をすすめることになります。従って、たとえ妻が反対したり、きわめて無関心であっても、クリスチャンの夫はその義務をはたさなければなりません。-エペソ、五ノ二二、二三。コリント前、七ノ三。

 6 このような境遇の夫が、妻を喜ばせるため、あるいはその反対をやわらげるために、自分に課せられている聖書の要求をまげることはできません。研究すること、他のクリスチャンと集まること、宣教奉仕を定期的に行なうことは、献身した人全部に対する要求です。真理に

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⑥, ⑦(イ)クリスチャンは不信者の妻を喜ばせるために、どんな聖書の要求をまげてはなりませんか。そのためにいくつかをあげなさい。 (ロ)また反対する妻をどのように遇するべきですか。

はいっていない妻の福祉を、それらの事のためにおろそかにする必要はありません。夫は妻にすすめて、自分の崇拝に妻を伴うことができます。しかし妻がそれを拒絶しても、夫は崇拝に参加しなければなりません。どんなことがあっても自分はそれをするというのでなければ、なぜその行いを一緒にすることを妻にすすめるのですか。またクリスチャンの研究、集まり、宣教奉仕をつづけることを夫があきらめてしまうなら、妻のわがままと反対を助長することになるでしょう。反対する妻を持つクリスチャンの夫に子供があれば、その肉体の必要とするものだけでなく霊的な福祉にも気を配らねばなりません。子供を集会に出席させ、個人的な勉強をさせるのも、そのひとつです。夫はかしらの権を持つゆえに、子供たちにこれらのことをさせることができます。「あなたがた、父たちよ。……エホバのこらしめと、権威ある助言とに従って子どもを育てなさい。」(エペソ、六ノ四、新世)このことをしない父親は、家族の霊的な必要物を備える者としての務をはたしていません。

 7 家族のために霊的な事柄をおもんばかる父親は妻を助けて真理を悟らせるため、できるかぎりの巧みさと親切を示すでしょう。怒ったり、どなりつける必要はありません。家族以外のクリスチャンでない人に対する時と同じく、巧みにまた聞く人が最も受け入れやすいように真理を語ることが必要です。そのことを忘れてはなりません。反対する妻を持つ夫は、同じく柔和に、また真理に対して最大の尊敬と理解を得るような方法で真理をすすめねばなりません。

       夫が不信者

 8 しかしこれとは逆の場合、すなわち崇拝の点で自分と一致していない不信者の夫を持つ妻の立場はどうですか。他の事は同じとしても、この場合に妻の立場は余計に難しいものになるかも知れません。夫が真理にはいっていないからと言って、妻がかしらの地位を行使することはできないからです。むしろ妻は妻として服従しなければならず、職業、居住する場所、生活水準などに関して、夫の決定に従わなければなりません。このような立場の婦人は、夫がクリスチャンの献身を受け入れなくても、夫を本当に愛することができますか。夫が愛情を示し、道徳的に清い人ならば、たしかに愛することができます。彼女は献身する前から夫を愛していました。献身したからと言って、愛をなくしたわけではありません。彼女は結婚の分を夫に与えるべきですか。そうです。二人は今でも結婚しているからです。献身は結婚の絆を破りません。たとえ夫の反対が時に激しくなり、献身した妻の神権的な交わりや奉仕をやめさせるように仕向けても、夫に対する妻の通常の務をはたさなければなりません。家事をはたし、食事をととのえ、できるかぎり夫のために尽くさなければなりません。夫が暴力をふるって危害を加

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⑧ 不信者の夫を持つ妻には、どうしてもっと大きな問題がありますか。

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えるほどになれば、妻は身の安全を図るため、はじめて別居を考えることができます。ーコリント前、七ノ一五。

 9 夫が家から家の宣教奉仕に反対するとき、どうすべきですか。たとえば日曜日には夫が家にいて、妻の野外奉仕を禁ずる場合、あるいは二人一緒にどこかで過ごすことを決める場合、どうしますか。妻は奉仕の計画を変えて、家族の意向と衝突しない時に奉仕をするのが賢明でしょう。

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        両親が不信者

 15 子どもたちが真理の知識を学んでも、両親が異なる宗教を持っているか、あるいは無宗教の場合をこんどは考えて下さい。集会に出席したり、家から家に伝道する野外奉仕の特徴を、親が子供に許さない場合どうしますか。子供は親のとめるのを振りきって、その意向に真っ向から無視し、家を飛び出しても神権的な活動に参加しますか。それはクリスチャンの行いではありません。子供は父と母を敬えと定められているからです。交わりを待ったり禁ぜられたならば、霊的に生きつづけ、他の人に伝道して神の御心

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⓯(イ)不信者の親を持つ信者の子供は、どんな問題に面しますか。 (ロ)信者の子供のとるべき正しい道は何ですか。

を行なうために、やや極端な手段をとることが必要かも知れません。エホバの命じていることをやめること、あるいはクリスチャンの原則を破ることを命令されるならば、クリスチャンは人間よりも神に従わなければなりません。しかし、たいていの場合、証者でない両親の反対は、献身した子供たちがエホバの御心を行なうのを直接に禁ずるほど極端なものではありません。従ってこのような親から拘束を受けても、それは健康、世俗の仕事、身体障害などが妨げになっている場合と同様です。人の才能に応じて何らかの合法的な手段で妨げを除くことができるのでなければ、それに耐えるのがクリスチャンの行いです。クリスチャンの行いをする未成年の子供は、証者でない両親にも従順と尊敬、思いやりを示し、協力しなければなりません。この点につき、ルカ伝二章五十一、五十二節にあるイエスの手本に注目して下さい。従って献身した子供たちは、たとえ限られてはいても、証者でない両親が許すだけの交わりと奉仕、また個人研究によって真理の中に進歩しつづけ、「良い時機をも待つ」ことができます。その間に改善した自分の能力は、成長してもっと自由な生活にはいったときに用いることができます。出エジプト、二〇ノ一二。使徒行、五ノ二九。

 16 真理にはいっている子供の両親が真理を受けいれない場合、子供たちが従順で、親の監督

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⓰ このような子供は落胆すべきですか。またどのようにしてエホバに誉をもたらすことができますか。

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権をよく認めることは、その事自体でエホバにほまれをもたらします。それはエホバの律法に従うことであり、エホバの御心にかなっているからです。子供はエホバの御命令を破って妥協することのないよう十分に注意しますが、それ以外の事において親の権威に従うことは、エホバへの従順を示すことです。このような境遇の子供たちは真理にはいっている他の子供の親が課さないような拘束を加えられていても、落胆すべきではありません。むしろどれだけの神権的活動が許されているかを考えて、それだけを行い、次のことを心に留めて下さい。問題はどれだけするかではなくて、できるかぎりをするという決意が大切なのです。このようにして自分の清いことと正しいことを証明し、生活によって証言することができます。「幼な子でさえも、その行いによって自らを示し、そのすることの清いか正しいかを現す」。(箴言二〇ノ一一、新口)若い人には導きが必要です。献身していない両親を持つ献身した子供は、そのことを理解しなければなりません。導きを祈り求めるのは、いちばん賢いことです。

 17 献身している子供は、両親に証言すべきであり、努めて聖書を説明すべきです。その場合、頭を働かさなければなりません。どんな時にも子供は家族に対して侮りの態度をとったり、尊大であってはなりません。「欠点を数えたてる」とか、反対に対して「仕返し」をしてはならず、やり込めるために聖書を用いてはな

りません。むしろ、両親に聖書を理解してもらいたいという願いを表わすべきです。両親を見下した話し方をしてはいけません。話し合いなさい。両親が聖書に賛成の返事をするように助言を求めなさい。「お父さん、他の子供と一緒になって何か悪いことをするよりも、集会へ行く方がいいと思われるでしょう」。「この馬鹿げた宗教をやめなさい」と親が言う時、正直にこう答えることができます。「本・当・に・馬鹿げているならやめます。でもお母さん、もしこれが馬鹿げているとし・た・ら・、どうして牧師さんはその間違っているところを指摘できないのかしら」。こうして両親の心に真理の種をまくことができるでしょう。ほどなくして、親は子どもの言っていることを牧師も反論できないことを悟り、ひとつ自分で調べてみようと思うでしょう。

 18 「でも私の場合は極端です」という人があるかも知れません。「このような事をみなやって見ました。他に何ができますか」。第一のいましめは「すべてをつくしてエホバに愛と従順をささげることである」とイエスは述べました。(マタイ、二二ノ三七、新世)したがってどんな場合でも、宣教すなわちエホバにささげる私たちの崇拝は、他の人の命令に先んじて第一に

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⓱-⓳(イ)このような子供は、どのように両親に聖書をことを話しますか。 (ロ)この事柄には、隣人愛がどのように関係していますか。 (ハ)「家族」に真理をすすめるためには、何を使わねばなりませんか。それは報いのあることですか。

すべきです。イエスの与えた戒めは、本質的に御父のいましめであり、イエスはそれについてこう言われました。「もしあなたがたがわたしを愛するならば、わたしのいましめを守るべきである」。(ヨハネ、一四ノ一五、新口)エホバのいましめと矛盾するか、それを拒絶することになるとすれば、家族の願いに従うことはできません。イエスは第二のいましめを次のように言われました。「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」。(マタイ、二二ノ三九、新口語)隣り人の中でも、自分の家族は、たとえ聖書に反対していても最も近い、最も親愛な者です。ゆえに自分の家族に最大の関心を寄せるのは当然です。私たちは家族を助けて真理に導きいれたいと望んでいます。私たちと同じように早く真理を悟らないからと言って、家族から離れ去るべきではありません。真理を受け入れず、無関心で、時には悪い態度を示す世間の人に対しても、私たちは何時もその人々の家を訪れて証言し、愛の心から関心を表わしています。自分の家族に対してそれだけの関心を表わすのは当然ではありませんか。では、家族を遠ざけるためではなく、その心をうるために物事をしなければなりません。偏見を抱かせるのではなくて、説得しなさい。家族に敬遠されるのではなく愛される者になりなさい。

 19 真のキリスト教に家族を導き入れるため、常に計画を立て、家族において策略を使わなければなりません。自分の家族ことに夫婦の間柄

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なら、よく知り合っているため、どの方法がいちばん良く、効果をあげるかが分かるはずです。反対する家族の者に対して、愛の心から忍耐を示すなら、その報いはきわめて大きなものです。

 20 新世社会の成員について言えば、分裂した家族の者であっても、ひとつに結ばれた家族であっても、今日、地上にすばらしいことが起きています。国家的な背景にかかわらず、新しい人格を着けた独自な人々がひときわ目立って生まれています。社会の秩序が衰えてゆく中にあって、恐れを持たない人、神のもくろまれた威厳を備えた個人が全世界で生まれています。それは、集団的な人を生み出すソ連の社会また機械の人をつくり出す民主的な社会の達成できないことです。聖書の原則を人間生活に応用することによって、以下の基本的な特質が、新世社会の人々を特色づけるものとなっています。 

愛・:聖書の原則に基づき、他の人に示す無私の関心。

喜・び・:心の底から感ずる喜び、楽しみ、満足、心の安らかな気持ち。

平・和・:落ち着いた、静かな心の状態。思いわずらわず、和のあること。

忍・耐・[:辛抱強さ(long-suffering:別の意味で、「[病苦で??!]長く苦しみを被(こうむ)っている被害者、被写体」、とも解されて仕舞うかも知れない??!とJW.ブロードキャスチングで?!):改訳:patience(:辛苦を我慢して舐(な)めている事:苦しみを忍ぶこと:現行公式訳:忍・耐・か:ペイシャントも「病者=苦痛に耐える人」の意味もあるが?!):改訳はロイヤルーラヴ(忠節…(忠実(選択の余地無し??!)じゃ無くって、忠節とは個人の選択したの余地があった??!ヱホバと統治体を支持のある、支える)な愛:以前はラヴーカインドネス=愛ある親切:これも個人で親切の対象がある、特にあの子とか?!殊に信仰で結ばれたヱホバの民とか?!善を行なう、ヱホバと隣人を愛せよ、第一と第二の律法??!)とかエンデュアランス(踏み留(とど)まる)とか、簡潔に結語している特に際立って??!]:忍ぶ心、寛容、我慢すること、他の人や環境に我慢する能力。

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⓴, 21(イ)新世社会の人々を特徴づけているものは何ですか。 (ロ)どうすればこのような特質を身につけることができますか。 (ハ)その幾つかを説明しなさい。

親・切・:温和で同情心があり、いんぎん、礼儀正しく思いやりのあること。

善・[:善良]:寛大、おうようで、もてなしの行いをすること。

信・仰・:固い信念、確信、安心感をもっていること。

柔・和・[:温和]:気持ち、感情、怒りをおさえること。教えを受け入れる心。

節・制・[:自制:self-control]:肉体と情緒の力を制し、平静でつりあいのとれていること。

徳・と貞・節・[:新世:貞潔:ヤコブ書3:17!!上からの知恵はまず第一に……]:正直、公正で正しいことを行い、性道徳に関して廉直なこと。

合・理・的・[:新世:道理にかなう??]:率直で近づきやすく、自分の考えを固執せず、とらわれない。

あ・わ・れ・み・:情け深いこと。悔い改めた人に対しては、当然のとがめをも差し控える。

公・平・[:公正:差別せず]:同等の尊厳を認める。偏見を持たず、えこひいきしないこと。

偽・善・的・で・な・い・:いつわりや見せかけのないこと、いつでも純粋で親切。-ガラテヤ、五ノ二二、二三。エペソ、四ノ二三、二四。

 21 このすべてを身につけることは、これらすべての性質にひいでるエホバ神とイエス・キリストのかたちに成長することです。心を変えて新たにするため、いまエホバの証者の新世社会と活発な交わりを求めて下さい。それによって、あなたはやがて楽園となる地上で永遠の生命をうけるにふさわしい人となります。-エペソ、五ノ一、二。

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[別の副記事]

  どのように私は寄付できますか[]

 ある人々は、お金を一番大事なものに見なします。しかし、神の僕にとって、お金は目的のための一手段に過ぎません。エホバの証者のクリスチャン社会が寄付のことを大声で騒ぎたてずに、しかも大きなわざを行なっていることに、お金を愛する人々や、その他の人はびっくりしています。エホバの証者の大規模な全国大会や国際大会には、いつも大勢の人々が驚嘆しています。聖書とか聖書の文書が大量に印刷される大きな印刷工場を見て、印刷業者や他の人々は驚嘆の声を放っています。エホバの証者は、また御国会館を幾千もつくり、宣教者を多くの国々に派遣しました。エホバの証者がこれらの事や他のことをすることができたという事実、しかも寄付盆を回すこともせず、資金集めの運動もせず、ビンゴ・ゲーム、バザー、宝くじ、謝肉祭、坐席の賃貸し、十分の一税、そして団体の支持をはかるための資金募集としてのいろいろの方法が使われていないことは、ほんとうに驚嘆に値することです!

 最近エホバの証者が家庭聖書研究を司会している一青年は、次のように質問しました。「今週、私は一九六ニ年度のエホバの証者の年鑑(英文)を読んで、あなたがたのしている大きなわざに深い感銘を受けました。しかし、私に理解できないことは、その資金の調達法です。世界的な制度を運営するために、お金のかかることはたしかです。でも、あなたがたは、一度も寄付を求めたことがない。私に寄付を求めたことは一度もありませんでしたね。いったい、だれがお金を出すのですか。どうしてまかなって行くのですか。その秘密はどこにあるのか」。

 この青年の持ったこの興味深い質問に対する答えは、彼を驚かせました。読者もその答えから益を受けるでしょう。その論議は次のようでした。

      お金はどのようにして集められるか

  証者: エホバの証者の合法的な機関であるものみの塔協会が、お金を調達する方法は秘密ではありません。もしものみの塔協会が商業的な制度なら、もちろんお金を得る方法についての質問は起きないでしょう。しかし、ものみの塔協会は慈善的な団体であって、寄付を徴収したり、十分の一税を集めたりするキリスト教国の宗教の用いる方法に従わないため、協会が金銭を得る仕方および協会の経営の仕方について、多くの人々がびっくりしています。

 家の人: 協会はどんな手段で必要なお金を得ているのですか。

 証者: 寄付者が自発的に、強制されずに、そして懇願されずにお金を寄付します。寄付する人々は、各自の資力と能力に応じて寄付します。

 家の人: 寄付をする人はだれですか。

 証者: 主としてエホバの証者です。その動機は、神とその御言葉に対する愛。および寄付したいという気持ちです。彼らは神の御国による人間の救いの音信を広めるために、金だけでなく、時間や努力をや能力を寄付します。

 家の人: 驚きましたね。いつかタイム誌で読んだことを覚えているのですが、ある牧師はこんなことを言っていました。今日の教会では特別な寄付徴集の方法が多いため、「キリストの福音を伝道できる日曜日は、一年に三回しかない」。あなたがたが、そのような寄付の徴集法を用いないのはすばらしいですね。

 証者: エホバの証者は、ものみの塔協会のつくられた目的を理解し、十分に認識しています。その目的とは正しい手段により、できるだけ多くの言語で聖書の真理をひろめることで

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す。彼らはこのわざの支持をしたいという強い気持ちを抱くのです。

 家の人: このように自発的にわざを支持する人は大勢いるのですか。

 証者: エホバの証者が寄付を願い求めたことは一度もありません。私たちはこのことにつき神に感謝しています。これは神の仕事であり、神はその御霊により、この仕事を遂行せられているからです。神の御国は全世界的な証言のわざを支持するための数多くの特権を人々は自発的に、かつ快く受け入れています。ゼカリヤ書四章六節によると、人々をして、そのように答え応じさせるものは神の御霊であることを知ります。

 家の人: それを聞いて、うなずけるのですが、また何か謙虚な気持ちにもさせられます。神は私たちに関心を持たれているのですね。

 証者: そうです。使徒パウロが使徒行伝十七章二十七節で述べられているとおり、神は「われわれひとりびとりから遠くに離れておいでになるのではない」。神はたしかに私たちに関心を持っておられます。

 家の人: それを考えると心が落ちつきますね。

      昔 の 例

 証者: 昔のエホバの民も、今日の私たちのように寄付をしました。お考えになったことがありますか。

 家の人: ちょっと考えたこともあります。寄付をするように命ぜられたのですか。かねがね疑問に思っていたのですが。

 証者: エホバは、昔から人々が自発的な気持ちで、金銭、物質を寄付して、地上におけるご自分のわざを支持することを許してこられました。もしそうでなかったなら、ルカ伝二十一章一ー四節に述べられているやもめはレプタ二枚を宮の寄付箱に投げ入れなかったでしょう。彼女は他の寄付者以上に多くのものを寄付したとイエスは言われました。

 家の人: 寄付箱を備え付けておいたので人々は寄付のお金を投げ入れることができたのですね。それはずい分興味深いことです。

 証者: 時にはイスラエル人がきわめて公然と寄付したこともあります。たとえば、出エジプト記三十五章五ー九節と三十六章五ー七節によると、寄付が徴収されて、人々はその召しに快く答え応じたと示されています。ダビデ王は、宮を建てるために、一四〇、九八〇、八〇〇ドル(五〇、七三三、〇八八、〇〇〇円)に相当する金と銀を、公然としかも自発的に寄付しました。彼の寄付は、その造営に対する彼の信仰を示すものでした。私たちの寄付は、エホバのわざに対する私たちの信仰を示します。詩篇百十篇三節によると、エホバの民は「心から喜んでおのれをささげるであろう」と書かれています。アベルの時から現代にいたるまでその精神に変わりはありません。

     どこで、そしてどのように寄付するか

 家の人: 自発的に心から寄付をするということは、私の気に入りました。エホバの証者の会衆に寄付したいと思うとき、どうしたら良いのですか。

 証者: それは造作ありません。エホバの証者のどの御国会館にも寄付箱が備えつけられています。たいてい、寄付箱は会館の後部にあります。お望みなら、そこに寄付を入れることができます。寄付の金額の記録はつけられません。実際のところ、あなたがどれだけ寄付したか、またあなたが寄付したかどうかを知る人はあなた以外にいないのです。

 家の人: それは良い取決めですね。きまりの悪い思いをしなくてすみます。でも、仮に御国会館に行けないならどうですか。エホバの証者の一人に寄付を渡して、私の代りに寄付箱の中に入れてもらっても良いですか。

 証者: もちろん、そうしてもけっこうですし、しばしばそうされています。しかし、私たちとしてはあなたが御国会館に来て、霊的なプログラムに参加してもらえれば、いっそう幸いに思います。

 家の人: ごもっともなことです。ちょっとぶしつけな質問かも知れませんが、寄付はどのように使われるのですか。

 証者: そのお金は、御国の良いたよりの伝道をすすめるため、社会で聖書教育をひろめるために用いられます。寄付は一銭といえども奉仕

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者の俸給のあてがわれません。私たちはみな時間を寄付するからです。しかし、会衆が集まって神の言葉を聞いたり、互いの信仰を建ておこす集会所をつくるために金が必要です。そして、資金の中のいくらかは、協会の本部に送られて、他の面で伝道のわざを拡大するために使用されます。

 家の人: それはどのように行なわれるのですか。

 証者: 多数の会衆は、一定額の寄付を協会に定期的に送るという決議を採択します。巡回大会や地域大会でも、これはしばしば行われています。

 家の人: 個人が直接協会に寄付することはどうですか。たとえば、私はものみの塔協会に直接寄付することができますか。

 証者: もちろんできます。そのときは次の宛書で送ってください。Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania, Treasurer's Office, 124 Columbia Heights, Brooklyn 1, N.Y. アメリカ合衆国外の国々に住む人は、各国の支部事務所に寄付することができます。支部事務所の住所は、協会のたいていの本や冊子の裏面のリストに出ています。制度のわざの計画を助けるため、多くの人は一年の中どのくらいの金額を寄付できるか協会に通知し、それからその能力に応じて寄付を送ります[:今はこのことは行われていない:注まで!!]。この取決めは、拘束的なものではありません。それは、協会の活動を計画する助けになります。

 家の人: なるほど。どのくらいの金額を送れば良いのですか。

 証者: 金高はいくらでも結構です。大切なことは、寄付額が大きいということでなく、その背後にある動機です。五十セント(百八十円)を寄付しようと、五十ドル(一万八千円)を寄付しようと、それはみな用いられます。あなたが寄付するときの精神および寄付の背後にある考え方が大切です。コリント後書九章七節(新口)で、使徒パウロは「神は喜んで施す人を愛して下さるのである」と述べています。

 家の人: 私たちもそうではありませんか。たしかに、正しい動機で施すときに、幸福を感じますね。

 証者: そうです、イエスもそう言われました。使徒行伝二十章三十五節(新口語)には彼の言葉が記されています、「受けるよりも与える方が、さいわいである」。

       寄付の使用法

 家の人: ある国の寄付は、他の国の伝道のわざを支持しますか。

 証者: ある程度までそうです。しかし、各国の証者は自分たちの国のわざを支持するために寄付します。会衆が貧しすぎて会衆自身と支部事務所を支えることができないときだけ、経済的な援助が与えられます。しかし、私たちには暖かい家族的な精神があって、互いに協力しながら同じ仕事を達成します。それで、地震、ハリケーン、その他の災いのために兄弟たちが苦しい目にあうなら、私たちは物質的な品物とか、必要な個人的な援助を与え、他の品物を寄付してよろこんで兄弟たちを援助します。

 家の人: それはすばらしい。しかし、別の質問があります。協会に送られた寄付によって、どんなものの費用がまかなわれるのですか。

 証者: ものみの塔協会の八十五の支部事務所の中、ある事務所は印刷工場を経営しています。また、印刷工場で働く人々は時間と労力をみな無料で提供しているので、それらの人々のための宿舎をも供給しています。これらの人々が時間を無料で提供しているので、協会は聖書や聖書研究の手引きを廉価で一般の人々に配布することができるのです。たとえば聖書全巻の「新世訳」(英文)は一ドルで求めることができます。

 家の人: 驚嘆すべきことですね。

 証者: これに加えて、協会には宣教者を含めて、六千三百七十七人の特別開拓者がいます。彼らは地上百五十三のちがった土地で働いており、新しい会衆を作るために、孤立した区域につかわされた奉仕者です。昨年、協会はこれらの奉仕者を援助するために二、三二八、八一九ドル六十九セント(八三八、三七五、〇八八円)を使いました。平均すると毎月一人につき三〇ドル(一万八百円)をちょっと超えるほどです。協会には、千百七十人の巡回の僕と地域の僕がいます。彼らはものみの塔協会の旅行する代表者で、約二万千五百五十七の会衆に奉仕し

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ています。これらの奉仕者にも若干の援助が与えられています。また、ものみの塔ギレアデ聖書学校の徹底的な訓練を受けるため、地上のあらゆる場所から百四人の奉仕者が招待されました。協会はその費用をみな払いました。さらに、毎年ビラとかパンフレットのようなものが幾百万部も無料で人々に配布されています。

 家の人: でも大きな本とか雑誌の場合には、いくらかの寄付があるのでしょう。

 証者: その通りです。しかし、協会の印刷物が配布された時に受け取る金は、もっと多くの聖書研究の手引きを印刷して配布するために用いられます。ところが、そのような寄付の金額では、世界的は[??誤植??修正:な??]規模を持つ御国の伝道をまかなうことはとうていできません。文書に対する寄付以外の寄付によって、多数の国の伝道のわざはまかなわれているのです。エホバの証者のしている活動がどの程度のものかご存じですか。

 家の人: いいえ。でも大規模なものだと思いますね。

 証者: 昨年九十六万五千六十九名の証者は、神の御国の良いたよりを伝道するため二一三二、六九五、五四〇時間を奉仕しました。彼らは関心を持つ人に四五、〇〇四、二六六の再訪問をし、毎週六二二、六六五の家庭聖書研究を司会しました。-これもその時間の中に表わされています。

 家の人: それは本当に良い記録ですね。

 証者: たしかにそうです。証者はそのわざをすすめるために資金を用いており、ちょうどルカ伝十六章一ー九節に記録されているたとえの中でイエスが示したように、彼らはエホバ神とキリスト・イエスの友になっています。彼らはあらゆる面で熱心につとめることによって、神をよろこばし、神の恵みと、新しい世における永遠の生命を得ることを希望しています。これらの事実を十分に認識する人々は、地上におけるこの最も肝要で有益なわざを拡大するためによろこんで寄付します。

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